六本木ヒルズでやってるポンペイ展は、本当に素晴らしかった。今までもポンペイ展は行ったことあるけど、こんなにも壁画が日本へ持ち込まれたことはないと思う。 2000年位前って、日本では弥生時代とか。 あんな凄い技術で壁画が描かれていたとか見どころたくさん。
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古代都市は高文明都市だった
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広大な都市、進んだ文明
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知ってるようで意外と知らないポンペイ
その魅力(?)をご紹介します。 - きれいな入口があります。遺跡ですが整備・保守がなされているので良い状態が保たれています。
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入るとすぐにこの坂を上っていきます。
このあたりは単なる田舎町の遺跡という風情です。
ただ建物が大きめです。 -
今に残る文明の証
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きれいに舗装がされています。それも大理石です。
月の光でもきっと十分な明かりになったのでしょう。 -
このガイドさんの説明はテキパキしてわかりやすいですね。
この時代に車道と歩道がきちんと分けられていたのだとか。
東京の端に住んでいますが、家の前が舗装されたのがやっと40年前。相当に後れを取っています。 -
横断歩道まであったとは。
馬車の車輪の部分がちょうど低いところを通るようになっていたのでしょうね。 -
都市の構成
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政治・宗教・商業の中心だったとか。
発展した都市にはこの3要素が欠かせないようです。 - 裁判所があり、
- 国会議事堂があり、政治の中心市になっており
- こちらは宗教の要となる建物だったようです。
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この広場は全住民が集合できるほど広いということです。
が、人口2万5千人という今から考えても相当に発展した都市であったことがわかります。
そして、この場所の広さは推して知るべし、といったところでしょうか。 -
あっけない終焉
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はるか遠くにベスビオ火山が見えます。
とはいっても7kmと、それほど遠くはないのだそうです。
噴火とともに火山灰が7mも積もったのだとか。それを掘り出して調査したのですね。さぞかし大変だったことでしょう。 -
ポンペイというと思い浮かべるのがこの石灰像。
骨などを残して人体は解けてしまい、できた空洞に石灰を流し固めたのがこの像というわけです。 -
歯がはっきり残っています。正直言ってちょっと怖い。
年齢などもわかるのだそうです。 -
再び街の様子を
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両替所もあり、商業活動の活発さがうかがえます。
すぐ隣には食料の市が開かれていました。 - 焼き魚や鶏の絵が描かれていて、当時ここで売られていたものがわかります。
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荷物を運んできた馬車が入ることができるのはここまで。
今ある街の仕組みが西暦前からあったのですね。 - こんな感じになっていて、市の広場には馬車乗り入れ禁止だったわけです。
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浴場−ここの技術がまた凄い
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こちらは男性用の浴場
普通の銭湯より凄いかも。 - 脱衣所があるのは日本と同じですが、
- 浴室の技術が凄いです。
- この湯舟は映画で見たような…。
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壁が二重になっています。
床、そしてこの隙間を蒸気が通ることにより内部は温められていました。
その後液体に戻った水蒸気はというと、 - しずくになるわけですが、垂れてこないように天井に溝が切ってあるのです。考えますね。
- こちらはワインバー。ワインは温かくはちみつ入りだそうです。
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まだまだ残っている街の様子
- パン屋さん。パン焼きのかまどですね。
- そして粉を挽く石臼。
- 水道設備も整っていました。
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秘儀荘
- 秘儀荘。名前からして怪しげなところです。
- ここはブドウ絞り場。この長い棒を使ってブドウの実を絞っていました。
- こちら側が本来の表、つまり玄関になります。
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床のようですが、ずいぶん凝って造られていることがわかります。
本当に富んだ町だったのですね。しかしあっという間に滅んでしまいました。 -
避難勧告には急いで応じること。
大切なのは物より命。
何やら教訓めいていますね。 -
都市の魅力というよりも、教訓を学ぶことになってしまいました。
どんなに文明が発達しても、身の安全を優先すべきでした。
絶景とかではないですけれど、歩く価値あり。
災害の多い昨今、胸にしっかりと刻み込んでおきたいものです。
噴火直後に当時のローマ皇帝ティトゥスはポンペイに使者を出すが、市は壊滅したあとだった。市民の多くが火砕流発生前にローマなどに逃げたが、これら一連の災害により、地震の前には2万人程度いたポンペイ市民の内、何らかの理由で街に留まった者の中から逃げ遅れた者約2千人が犠牲になった。
ポンペイ - Wikipedia